初めてのドライブ・・・そして
1
依はスマホのアラームで目を覚ますと、カーテン越しにも分かる強い日差しにウンザリした目を向けた。
今年の梅雨明けは異常に早く、関東では6月の末には明けてしまった。
それからは毎日のように狂ったような日差しが降り注ぎ、都会のコンクリートをジリジリと焼いて大地に熱をためづづける。その熱が大気を暖め更に気温を上昇させる。
その暑さはまるで熱せられたフライパンの上に居るようで、一歩冷房の効いた建物から外に出ると男にも女にも、老人にも子供にも情け容赦なく襲いかかった。
夜になって日が落ちると多少人心地付いたが、今度はまとわりつくような暑さと湿気で冷房がなければ一秒だって寝られやしないし、やっと眠れてもタイマーをかけた冷房が止まるとアッという間に目が覚めてしまう。
一晩中冷房にあたってると体に悪いと思ってタイマーをかけて寝ていたけど、冷房が止まるとすぐ起きちゃうんじゃ寝不足になっちゃうよ。
それに寝不足になると熱中症のリスクが急激に高まるっていうから、今年の殺人的猛暑から身を守るには冷房に頼っちゃうしか無いでしょう。
そんな訳で、依は数日前から一晩中冷房をかけて眠っていた。もちろん緩めにかけているので、日が昇ってカーテン越しに強い日差しが降り注ぐと、部屋の中はそれなりの暑さになる。
それでもやっぱり、冷房が止まった部屋で暑さに焼かれるように目を覚ますのに比べれば目覚めは本当に爽やかだ。
それでも、Tシャツの下の素肌はやっぱり汗でベトベトになっちゃう。
依はベットから降りるとTシャツを脱ぎながら洗面所に向かい、気持ち悪い寝汗を流すためにお風呂場に入った。
蛇口をひねってシャワーの温度を調節しながら、お風呂場の小さな窓からも降り注ぐ強い日差しに目を向けた。
今日もまた、あの灼熱地獄の外に出て行くのか。嫌だなあ。
でも、会社に行けば藤木さん・・・彼に会えるから!
依は気持ちよくシャワーで汗を流しながら、またあの日の藤木の顔を思い浮かべた。
それは、照れたような怒ったような、それでいて真剣な顔。たぶんずっと忘れない彼の表情・・・
あの日・・・あの日はまだ梅雨明け前で、鈍色の空が館山の上空に掛かり、時より小雨が降り注ぐドライブ日和とは言いがたい空模様だった。
例によって、緊張して訥々としゃべる藤木からの電話でドライブに誘われた依は、朝の7時に迎えに来た藤木のスイフトにドキドキしながら乗り込んだ。
でも、藤木さんはわたし以上に緊張してる。
そんな藤木の緊張した表情を眺めているうちに、逆に依の緊張はほぐれてきた。
まあ、そのうち藤木さんの緊張もほぐれてくるでしょう。依はそんな風に思いながら変にハイテンションに会話することも無く、緩い感じでポツポツと会話を続けた。
でも、やっぱり会話がとぎれた時の沈黙には耐えられないので、「持ってきたCDかけてもいい?」と藤木に確認すると、小さく掛かっていたラジオの音を止め、いきものがかりのベスト盤をスロットに挿入した。
聖恵ちゃんの元気な声が車内に流れると、一気に空気が和む。
藤木もそれで多少は緊張がほぐれたのか、ステアリングさばきもなめらかにスイフトを館山に向けて走らせた。
前に乗った時は短くて気づかなかったけど、藤木さんの運転はかなりスムーズだ。下道でも高速でもけっして飛ばすわけでは無いけど、かといって慎重すぎて遅いわけでも無くとても安心して乗っていられる。
「やっぱり、運転が上手な男の人ってポイント高いよね」
依はそんな風に思いながら、運転席の藤木の横顔をチラリと眺めた。
「うん!カッコイイ!」
運転に比べて、会話はスムーズじゃ無いけどね。
依はそんな口下手な藤木を気遣って、社内の噂話や日菜先輩の失敗談などを面白おかしく話し続けた。
そんな依の言葉に藤木は相づちを打ったり、笑ったり。
いつの間にか藤木の緊張も解け、車内には二人のリラックスした空気が流れていた。
藤木は富津館山道の富浦インターで高速を降りると、海沿いに出て小さな漁港で車を止めた。
「こんなひなびた漁港って良い雰囲気だよね。ちょっと降りて写真撮ろうよ」
あはっ。
藤木さん、やっぱりまずは写真なんだね。
依は内心で苦笑しながら、M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZを装着したE-M10を手に車を降りた。
藤木もカメラ片手に車を降りると、それぞれのカメラで港に泊まる漁船にレンズを向けた。
「天気悪いけど、それはそれでこの漁港の雰囲気に合ってていい感じですね」
「そうだね。こんな暗い雲が垂れ込める時は、逆に空を広めに入れて雲を主役にしちゃっても良いかもね」
「分かりました。試してみます」
依は試行錯誤しながら夢中でシャッターを切る。
「そろそろ行こうか」
藤木さんに声をかけられ腕時計を見ると、いつの間にか30分以上過ぎている。
「まだ11時前だけど腹減ったな。依ちゃんはどう?」
「朝が早かったから、わたしも空いちゃいました」
「じゃあ少し早いけどお昼にしようか」
「だったらこのお店どうですか?」
依はスマホを取り出すと、ブックマークしてあった記事を手早く表示して藤木に手渡した。
「下調べしてくれたんだ」
「簡単にですけど調べてたら、その記事が目にとまったので一応ブクマしておきました」
「ざっと読んだけど美味しそうなお店だね。せっかく依ちゃんが調べてくれたからここにしよう」
「はい」
そして20分後、二人は小さな定食屋さんのカウンターに肩を並べて座り、和紙に書かれた巻物のようなメニューを眺めていた。
「うーん、刺し身もいいけど久しぶりに旨いあじフライが食べたいな」
「わたしは天ぷら!穴子の天ぷらがいいです!」
注文を終えた二人が、カメラの背面液晶でさっき写した写真を見せ合ったりしているうちに注文した定食が運ばれてきた。
「うわあ、美味しそう!」
「うん!ぼくのあじフライも旨そうだ」
二人はお互いの料理を手早くカメラの収めると、かぶりつくように食べ始めた。
「この穴子、ホクホクしてて美味しい!それに、お味噌汁も出汁が効いてて最高です!」
「どれどれ、少しちょうだい」
そう言いながら藤木は依のお皿に箸をのばして穴子の天ぷらを奪い取った。
「あーっ!じゃあわたしも」
依も負けじと藤木のお皿からあじフライを奪い取り、そのまま口にほおばった。
「あじぇぶらいもぼいっじいでずね」
「依ちゃん、ほおばりながらしゃべっても何言ってるか分からないよ」
藤木は苦笑しながらも、あじフライをほおばる依の横顔を愛おしそうにながめた。
2
店を出た後は、野島埼灯台に向かい強風の中を飛ぶトンビを撮影したり洲埼灯台近くで海上自衛隊の船を撮影したりしたが、藤木は気もそぞろでよく覚えていなかった。
今日こそは・・・そんな風に決意していたからだ。
そして今、沖ノ島の砂浜を肩を並べて歩いているふたり。
藤木さん、さっきから黙ってるけどどうしちゃったんだろう?何か怒らせるようなことしちゃった?
依は内心不安に思いながら、藤木の横顔をちらちらとうかがいながら歩いていて、砂浜の起伏に気づかずに足を取られてよろめいた。
「あっ」
グラリとした依の腕を取りそのまま体を抱き留めた藤木は、依と目が合った瞬間思わず口走ってしまう。
「好きだ」
「えっ?」
「あっ、いや何言ってんだおれ」
藤木は一瞬海に目をやると観念したように依の方へ視線を戻した。
「本当はもっとちゃんと告白しようと思ってたんだけど、何か突然口走っちゃったよ」
「でも、言ったことは本当だから」
「本当?」
「ああ、おれは依ちゃんのこと大好きだ!付き合ってください」
藤木は、照れたような怒ったような、それでいて真剣な顔で依の目を見つめた。
コクン。
依の首が小さく縦に動く。
そんな二人に海風がビュンと吹きつけ、頭上ではトンビが祝福するように旋回を続けていた。
つづく。
依が使用したレンズ
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