日菜先輩っ!オフィスで叫ばないで~
1
「依、おはよう!」
その元気な声を聞いただけで、顔を見なくても声の主は分かる。同じ部署で働く、一つ上の日菜(ひな)先輩だ。
先輩は豪快というかフランクというか、とにかく自由な人だ。男っぽいしゃべり方をする事もあるけど、女子力が低い訳じゃ無い。それどころか凄く美人で、それでいて飾ったところが無いので、男女問わずとっても人気がある。
依は、サーバーのコーヒーを紙コップに注ぎながら振り向いた。
やっぱり日菜先輩だ!
「日菜先輩。おはようございます」
「ねえねえ、依」
日菜先輩が悪戯っぽく笑いながら手招きするので、ちょっといやな予感がした。先輩があんな顔をしてる時は、何かを企んでいる時なんだ。素敵な人なんだけど、悪戯好きが玉に瑕なんだよね。でも、無視する訳にも行かないので恐る恐る近寄ると、先輩は内緒話するように耳元に口を寄せていきなり言った。
「最近、藤木さんと仲良くない?」
何を言われるかと思って身構えてたけど、その事は予想外だ。
オフィスでは普通に接してるつもりだったのに、何で?やっぱりそう見えるの?
「えっと・・・何でですか?」
依は狼狽しながらも、何とか取り繕おうとした。
「だって、そんな風に感じたんだもん。もしかして、図星?」
日菜先輩勘鋭すぎ!こりゃ観念しなきゃだね。
「まあ、何と言いますか・・・ちょっとだけ」
「とりあえず話聞くから、ランチおごってね」
日菜先輩は、そう言うとニヤリと笑い、わたしの手からコーヒーを奪い取ると、自分の席に戻っていった。
そんな訳で、お昼休みになると速攻日菜先輩に拉致されて、会社近くのイタリアンに連行。二人分のパスタランチを注文する羽目になってしまった。
「で?」日菜先輩が上目遣いで話を促す。
「別に藤木先輩と付き合ってる訳じゃ無いんです。ただ、カメラの指導を受けているというか・・・」
「カメラ?依にそんな趣味があったの?」
「始めたのは最近なんです。ある日ネットで見つけた写真が心に突き刺さって、わたしも写真撮りたいって思ったんです。それで、カメラが好きそうな藤木さんに相談したら、親身になってくれて」
「ほうほう、それで?一緒に出かけたりは?」
「一度だけ。でも、デートとかじゃ無くて、カメラのショーに連れて行ってもらっただけですよ」
そうなんだよね~。あれ以来、何にも無いんだよ。最近写した桜の写真とかを見てもらいたいんだけど、切っ掛けが無くってさ。横浜で距離が縮まったと思ったんだけど、あれから何のお誘いも無いし。大体、わたしの事どう思ってるんだろ?やっぱりただのカメラ好きの同僚?
「おーい、戻ってこーい」
気づくと、日菜先輩がわたしの顔の前で手を振ってた。あれ?わたし、意識飛んでた?
「すみません。ちょっと物思いにふけっちゃって」
これは、完全に恋する乙女だね。日菜は、心の中でニヤニヤした。
「ところで、カメラってそんなに面白いの?」
「はい!凄く楽しいですよ。まだ下手だけど、それなりに上手に撮れるときもあって、そんなときはほんとにテンション上がります!」
「そうなんだ。実はあたしもさあ、大学生の頃にカメラ女子ブームに乗っかってミラーレスカメラを買った事あるのよ。でも、半年くらいで飽きちゃって」
「どんなカメラですか?」
「たしか、OLYMPUSのPENで、型番は忘れちゃった。でも、買ったのもう7年くらい前だから今となっては化石だね」
「わたしのカメラ、藤木さんの中古を安く譲ってもらった、4年くらい前のですけど普通に撮影出来るから、先輩のも大丈夫じゃないですか?」
「おっ!藤木さんのお下がりを使ってるなんて、おぬしら普通の関係じゃ無いな」
「そんな事無いです!ただ、藤木さんがカメラは中古にしてその分レンズに投資した方がいいよと言ってくれたので」
依は語気荒く言った。
「そうかそうか。依の事を親身になって考えてくれてるんだな」
「もう!茶化さないでくださいよ!」
「悪い悪い。それで、何だっけ?」
「だから、わたしのカメラも4年くらい前のだけど普通に使えるから、先輩のも大丈夫だと思うって話です」
「そうだったね。でも、カメラは残ってるはずだけど、レンズは友達に売っちゃったんだよね」
「そうなんですか。でも、わたしのカメラもOLYMPUSだからレンズ共有出来ると思います。それに藤木さんに言えば何か貸してくれるかも」
「何だか、あたしもカメラやる事になってない?」
「えへっ。でも、せっかく持ってるんだからもう一度やってみましょうよ。それで、やっぱり合わないなら止めれば良いんですから」
「分かった分かった。明日カメラ持ってきて藤木さんに見せてみるよ。それより、早く食っちまわないと、昼休み終わっちゃうよ」
「ですね」
二人は猛烈な勢いでパスタを食べ始めた。
そして、翌日。
「藤木さん、今日残業は?」
「今日は特にないので帰るところですけど、何か?」
「ちょっと話があるからこの後付き合ってよ」
「春野さんから話なんて怖いなあ」
「怖いって何よ。でも安心して、依も一緒だから」
「よっ、橘さんも一緒ですか」
なんだ、もう名前で呼び合ってる訳ね。日菜は心の中で苦笑した。
「そうそう。依も一緒」
「分かりました」
藤木はばつが悪そうに頭をかきながら言った。
「より~!藤木さんこの後大丈夫だって~!」
日菜の大声がフロア中に響き渡る。
ぎゃー!日菜先輩ったらなんちゅー大声でそんな事を言っちゃうんですか!
自分の席で帰り支度をしていた依は、真っ赤になって固まってしまった。
「春野。藤木と橘がどうしたって?」
「課長。何でも無いです。ただ三人で飲みに行くだけですよ」
「藤木、両手に花とはうらやましいな。お前いつからそんなにモテるようになったんだ?」
「モテるなんてとんでもないです。ただ・・・」藤木はしどろもどろに答えながら下を向いてしまう。
もう!明日からどんな顔して会社来れば良いのよっ!
依はダッシュで二人の元に駆け寄ると、二人の背中を押すようにしながら急いでオフィスを出た。
その三人の背中越しに爆笑する同僚達の笑い声が響き渡った。
オフィスビルを出て、二人を無視してずんずん歩いて行く依の背中に日菜は飛び乗った。
「ごめんごめん、そんなに怒らないでよ」
バランスを崩した依を支えながら、日菜が言った。
「もういいです。でも、凄く恥ずかしかったんですよ!」
「だから悪かったよ。今日の飲み代はあたしが持つから、それで許せよな」
「ほんとですか?じゃあ許します」
現金なもので、その言葉を聞いて依の顔は途端に笑顔に変わる。
「当然僕もおごってもらえるんですよね」
「藤木!何でお前の分まで」
「だってぼくは、何が何だか分からずに連れてこられてるんですよ!」
「分かった分かった。この日菜姉さんが二人まとめて面倒見たる!その代わり、安い居酒屋で勘弁な」
「日菜姉さん、かっこ悪いですよ」
「うるせえ!いやなら自分で出しやがれ」
「冗談ですよ。とにかく店を探しましょう」
三人は、会社帰りに人々があふれる路上で爆笑した。
2
「ぷはーっ!うめーっ」日菜はビールの中ジョッキを豪快にあおると言った。
そこはオフィス最寄りの駅前にある、安さが自慢の焼き鳥メインの居酒屋だ。
藤木の手にも中ジョッキが、依の手には梅酒のソーダ割りが握られている。
「ところで、今日は何の集まりなんですか?」
「そうだったそうだった。依が藤木さんにカメラを教えてもらっている話を聞いて、あたしも昔ミラーレスカメラを買った事を思い出してな。そのカメラが今でも使えるか見てもらおうと持ってきたんだよ」
そう言うと、日菜はカバンから一台のカメラを取り出し藤木に手渡した。
「これは、PEN E-PL1sですね。ミラーレスカメラが出て割と早くに発売されたカメラだから、今のカメラと比べたら色々な性能は落ちるけど、画質的にはもちろんスマホとは雲泥の差のきれいな写真が写せますよ」
「そうなのか。買って半年くらいで飽きちゃってその後は使ってなかったけど、確かに当時は画質に感動した覚えがあるよ」
「じゃあ、今度三人で撮影行きましょうよ!」と依。
「いいですね。ぜひ行きましょう」と藤木も応じる。
「でも、依には言ったけどレンズ売っちゃって持ってないんだよ」
「だから、レンズが付いてないんですね。それならとりあえず、手持ちのレンズを貸してあげますよ。あまり使ってないレンズなので、気に入ったら安く譲ってあげても良いですよ」
「そっか、悪いな」
「これで決まりですね」
「分かったよ。とりあえず一度付き合ってみるよ」
やった!これでまた藤木さんと撮影に行ける!依は、心の中でガッツポーズを繰り返した。
つづく。
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