藤木さんの意外な提案
そしてその夜。
連れだって会社を出た二人は、最寄り駅から私鉄に乗り数駅揺られるとターミナル駅で電車を降りた。改札を抜けると駅前ロータリーには寒風が吹きすさび、二人は思わず悲鳴を上げる。
「うおー、さむいっ!こりゃ、早く店に入らなきゃ凍えちゃうよ」
「ほんとに今夜は特に寒いですね。何でもいいから早く店を探しましょう」
二人は凍える寒さの屋外から早く暖かい店内に入ろうと、駅前の繁華街を速足で歩き、個室タイプの居酒屋を見つけるとメニューもろくに見ずに駆け込むように店に入った。
寒い屋外から暖かい店内に入った二人の頬や耳たぶは、上気して真っ赤に染まる。
「うわあ、あったけー。これだけで天国に感じるよ」
「ほんとそうですね。暖かくて幸せって感じです」依は上気した頬に笑顔を浮かべながら答えた。
二人は店員に案内されて、掘りごたつタイプの席に落ち着くと、藤木は生ビール、依はあんず酒のソーダ割を注文した。
「お腹空いてるから、とりあえず腹に入れてから話そうよ。昼休みじゃないから時間もあるし」
「そうですね。何食べます?」
「何があるかな?あんまり寒いから、どんな店かよく見ずに入っちゃったけど」
「えっと、焼き鳥とかの串焼きがメインみたいですね。あとはお刺身とかもありますよ」
「どれどれ・・・」
藤木は、依の持っていたメニューの自分側を手に取るとぐっと身を乗り出して覗き込んだ。
二人でメニューの片側をもって同時に覗き込むことになったので、必然的に二人の顔が急接近し、依の心臓は突然のことに早鐘を打った。
うわーっ、藤木さんの顔がめっちゃ近いよ。今日は寒かったから髪とか臭くないよね?でも、社内は暖房ですごく暖かかったからなあ。
依は、メニューを考えながらも色々なことが気になり、けっきょく何を注文したのか良くわからない有様だった。
そしてしばらくすると、良く冷えたグラスと共にお通しの小鉢が運ばれてきた。
薄くスライスした茹でダコとわかめを千切り生姜を利かせた三杯酢で合えた酢の物だ。
藤木は、その小鉢をひとくち口に運ぶと思わず唸った。
「うまっ!この小鉢旨いよ」
一口食べた依も同意を込めて大きくうなずく。
「ほんとですね。すごく美味しいです」
「だよね。お通しの美味しい店は、絶対他の料理も美味しいから。今日の店は当たりだね」
「寒いから適当に選んだ店だけど、それが良かったのかな?」
「下手に考えない方がいいって事だね」
「ですね」二人は思わず噴き出した。
そうこうしているうちに焼き鳥の盛り合わせをメインにサラダやポテトフライ、揚げ出し豆腐などがテーブルに並び、藤木と依は社内の噂話を肴に旺盛な食欲を見せて楽しそうに料理の皿を空にしていった。
注文した料理をきれいに平らげテーブルが空になると、藤木は手をお手拭きできれいにぬぐい、そのお手拭きでテーブルをきれいに拭くと、満を持した様子で話を切り出した。
「さてと、そろそろ本題に入ろうか」
「はい、お願いします」依もそう答えながら居住まいをただす。
「最初に訊いておくけど、橘さんは今こんなカメラが欲しいとか考えていることある?」
「いえ、特には」
「うん分かった。じゃあ、まずは基本的なことから話すよ」
藤木はビールから切り替えたウーロン茶でのどを潤すと、解説を始めた。
「レンズ交換カメラには、大きく分けて一眼レフカメラとミラーレスカメラがあるんだけど、それは分かる?」
「いえ、ごめんなさい。名前は聞いたことがあるけど具体的に何が違うのかは良く知りません」
依は心の中で頭を抱えた。
あーん、どうしよう。あんまり何も知らないんじゃ藤木さん呆れちゃうよ。ちょっとはカメラの事も下調べしておけば良かったな。いまさら後の祭りだけど・・・。
依の表情が曇ったのを見て藤木が言った。
「もしかして、カメラの事知らないって気にしてる?そんなこと全然気にしなくても良いよ。じゃあ、こうしよう。依ちゃんは、あっ橘さんは・・・」
「依でいいですよ。社内でもみんなそう呼んでますし。てか、その方が嬉しかったりして・・・」
「えっ?後半聞えなかったけどなに?」
「いや、何でもないです」依はお酒の酔いと今の自分の言葉に照れて真っ赤になりながら、大きく頭を振った。
「そう・・・じゃあ、依ちゃんって呼ぶよ」藤木も何となく照れて、頭を掻きながら言った。
「はい」依は小さな声でうなづく。
「えっと、何だっけ?そうだ、依ちゃんはカメラの事を何も知らないって思って、基本的なことから説明するよ」
「はい。そうして下さい。恥ずかしながら、本当に何も知らないので」
「分かったじゃあ、解説に戻るね」
「さっき言った一眼レフカメラは、フイルムカメラ時代からある形式で、大きな特徴はレンズから入った光をミラーやプリズムで反射して、その光をファインダーで見るんだ。だから、ファインダーで見ている像は実像になるのね。それに対して、ミラーレスカメラはスマホのカメラとかと同じで、レンズでとらえた光をイメージセンサーで像にして液晶に映し出すライブビュー形式なんだ」
依の心の中に?がたくさん浮かぶ。
えっ・・・ミラー?プリズム?実像?・・・
「ごめん、ごめん、ちょっと難しかったね」
そう言うと、藤木はカバンからコピー用紙とマジックを取り出し何やら図面を書き始めた。
(作者注:藤木はもっと字が上手いです。下手なのはわたし(-_-;)「この図を見ればわかるかな?上の図が一眼レフなんだけど、このようにレンズから入ってきた光がボディの中にある45度に傾けたミラーに反射して上方にはね上げられるのね。そして上にある五角形状のものがプリズムなんだけど、そのプリズムでこのように反射を繰り返してファインダーから出て行きそれを覗いて見るんだ」「はい。大体わかりました。でも、なんでそんな複雑なことをするんですか?カメラの上の方に覗き窓をつけてそれを覗けばいいのに」「うん、いい質問だ。じっさいそれに近い方式のカメラもあるんだ。その形の方がミラーやプリズムが必要ないからカメラをコンパクトにできるからね。でも、その方式には大きな欠点があるんだ。
考えてごらん、その方式だとレンズから入ってくる光とファインダーから覗く光には微妙に角度のずれがあるよね。だから、ファインダーから見た像と実際に写真になった像にはどうしてもずれが出てきてしまうんだ。それにレンズには色々な焦点距離があるのは分かるよね?」
「えっと、望遠とか・・・ですよね?」
「そうそう、その焦点距離が変わってもファインダーの視野、見える範囲ね。その視野は変わらないから実用上とても不便なんだ。その点、一眼レフ方式はレンズから入った光を直接ファインダーに導くわけだから、その様な不便なことは起こらないんだ」
「はい。良くわかりました」
「じゃあ、ミラーレスの説明にいくね。下の図がミラーレスなんだけど、ミラーレスはレンズから入った光は直接このイメージセンサーに行くんだ」
藤木は図面のイメージセンサーを指さしながら言った。
「あれ?ちょっと待ってください。さっき一眼レフのレンズから入った光はミラーに当たって反射するって言いましたよね?じゃあ、撮影するときはどの光がセンサーに行くんですか?」
「おっ!鋭い質問だ。じつは一眼レフのミラーは可動式でね。シャッターを切って撮影する瞬間に上側に跳ね上がるんだ。そして、光をセンサーに導いて露光したらまた瞬時に元の位置に戻る。これだけでもすごいんだけど、一眼レフで連写すると一秒間に何度もこの動作を繰り返すんだ。メカでこれを実現している日本のカメラメーカーって本当に凄いよね」
「このミラーが一秒間に何度も何度も上がったり下がったりするんですか?ちょっとビックリです!」
「だよね。でも、この一眼レフがカメラの主流で居られる期間もそう長くないとおれは思ってるんだ。その座に取って代わるのがこれから解説するミラーレスカメラなんだ。さっきも言ったけど、ミラーレスはレンズから入った光を直接イメージセンサーに導くのね。そしてその像を液晶に映してそれを見ながら撮影する。これって、コンデジやスマホのカメラとまったく同じでしょ」
「はい、同じですね」依は、藤木の話について行こうと頭をフル回転させながらうなずいた。
「ミラーレスには背面の液晶だけでファインダーがない形とファインダーが付いた形のカメラがあるんだけど、そのファインダーも一眼レフの光学ファインダーと違ってファインダーの奥に小さな液晶があってそれを接眼レンズで拡大して見ているだけなんだ。だから、ミラーもプリズムも必要ないから、ボディをすごく小さく軽く作れる。しかも機構が単純だから故障も少なくて安く作れるのね」
「じゃあ、いい事づくめですね」
「いやそうでもないんだ。これ以上説明すると難しくなりすぎるから今回は止めておくけど、今までのミラーレスには欠点も沢山あって、だからこそ一眼レフが主流であり続けたんだけど、ミラーレスが誕生してからおよそ10年が経って、その欠点もかなり解消されてきたんだ。そして、いよいよミラーレスが主流の時代がやってくる。一眼レフのメカニズムは素晴らしいし、思い入れもあるからちょっと寂しいけどね」
「それでおれとしては依ちゃんにはミラーレスカメラを薦めたいんだ。今も言ったようにこれからはミラーレスが主流になると思うし、小型軽量だから女性でも扱いやすいしね。どう?」
「藤木さんが薦めるならそれで大丈夫です」
「それでなんだけどね、このカメラ、依ちゃんにどうかなと思って一応持ってきたんだけど・・・」
そう言いながら、藤木はカバンから一台のカメラを取り出した。
それは、前夜磨いていたM.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZが付いたOLYMPUS OM-D E-M10だった。
つづく
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